「希釈」のすすめ

「希釈」という名前の自主制作雑誌というか同人誌というかそういうものを作っていたことがありました(どんなやつか興味ある方はこちら)。

希釈という単語を辞書で引くと

溶液の濃度を水や溶媒を加えて薄めること。

と書いてあります。

なんで本の名前を「希釈」にしたかということを当時、本の冒頭に書いていました。

「内容が濃い」とか「濃い時間を過ごした」というような言いまわしがあります。ある時間の中で役に立つことや面白いことを高密度で味わった時に、人は「濃い時間を過ごした」と言うわけです。

この本には役に立つようなことは何ひとつ書いてないので、そういう意味ではこの本を読むとかなり「薄い時間を過ごした」ことになると思います。

「濃い時間」ばかりだと疲れると思うので、この「希釈」で、薄まった時間を過ごして頂ければ幸いです。

そんなことはすっかり忘れてたんですけど、最近この「薄める」こと、「希釈」することの良さみたいなものを改めて感じるようになってきました。

ストレス発散はストレス希釈である

ところで、「ストレス解消」とか「ストレス発散」という言葉には、ストレスを吹き飛ばす・蹴散らすようなイメージがあると思います。

でも実際やっていることは「薄める」に近いんじゃないでしょうか。

スポーツだったり買い物だったりゲームだったり食事や飲酒だったり手段は人それぞれですが、別のコンテンツを摂取することでストレスを一時的に忘れたりそのストレスに抗う力を養う。

これをストレス以外の事に時間を使うことでストレスの濃度を下げている、と考えるとまさにストレスの「希釈」をしていると言えませんか。

現実逃避は現実希釈である

似たような感じで、
直面してしまった現実は消えないし変えられないし逃げられないんだけど、他のコンテンツを摂取することでそのダメージを薄めようとするのが現実逃避であると言えそうです。現実の濃度を下げている。

「薄める」ほうがイメージしやすい

ストレス発散や現実逃避と「希釈」をこじつけることになんのメリットがあるかというと、手段をイメージしやすくなることです。

「ストレス発散」というと、前述のように吹き飛ばす・蹴散らすというようなイメージがあるので、激しい運動とか、絶叫マシンに乗ったりとか、記憶が飛ぶまで飲んだりとかしなくちゃいけない感じがしませんか。

同様に「現実逃避」というと、すごーく遠いところまで旅に出なきゃならない感じがしませんか。アニメ全話見るとか、がっつりゲームに熱中しなきゃならない感じがしませんか。

それに対して「薄める・希釈する」というと量の問題な感じがしてきます。

とにかくなんでもいいから、ストレスにならないものをたくさん摂取して、薄める!なんでもいいから現実と関係ないことを考えている時間を増やす!と考えるとだいぶお手軽度が上がる感じがします。

絶叫マシンである必要はなくて、無味無臭な、水のようなものでいい
何か価値のある時間を過ごそうとか、価値のある情報を得ようと心がけなくていい。一度観たことある映画を見てもいいし、ただコンビニ弁当を食べてもいいし、ベッドに横になっているだけでもいい、それでも確実に、少しずつ希釈されていくのだから…

何か「非日常」なアクティビティをやらなければならないと思うと逆に疲れてしまったりするので「なんでもいいから薄めるぞー」というゆるいイメージでストレス解消していくのはどうでしょうか、という話でした。

少なくとも、例えば気づいたらyoutubeショート動画を2時間見ていた!というときに「あー時間を無駄にした!」と思うより「あーたっぷり希釈できた!」と思えたほうが健全だと思うのです!